スポーツ外傷(香川スポーツ1998年2月26日掲載)
スポーツドクターとしての原点は学生時代のラグビーと病床生活にある。68年、大学紛争のころ、毎日、街頭デモとラグビーの練習に明け暮れていた。あげく、過労で狭心症発作に襲われ、医師からラグビーの再起不能を宣告された。しかし、その忠告も聞かず、「グラウンドで死ねるなら本望」と再びスパイクを履いた。それから30年たった今でも現役ラガーを自任している。
クリニックには外傷や障害で、スポーツが出来なくなるのでは・・・の不安を胸に訪れる選手が少なくない。スポーツを愛する人々から病気でそれを奪ってしまうのは残酷なことだ。外来で涙する若者の姿を見るたび心が痛む。なんとか復帰をと、1%の可能性を求めて模索する。選手が自分の持つ残された機能と能力を、最大限活用できるようサポートしていくことこそがスポーツドクターの使命だと考えている。
外傷とは一般的にケガと呼ばれているものである。転んだり、衝突するなどして創傷、打撲、捻挫、肉離れ、脱臼、腱(けん)断裂,骨折などを引き起こす。これらの外傷には早期の正しい診断と治療が重要になってくる。
1998年 大八木選手と丸亀ラグビー少年団
91年、広島市内の病院で整形外科部長として勤務していたころの話。9月末の夜8時ごろだった。広島市民球場から「選手がケガをしたのでよろしくお願いします」の緊急電話が入った。手術室のドアを開けると、当時セ・リーグの首位打者を争うヤクルトのF捕手が横たわっていた。
広島カープファンの僕としては「汝の敵を愛せよ」の気持ちで、筋肉の露出した開放創の治療にあたる。約1時間の手術中、彼は非常に冷静で、しかも、周囲の医療スタッフに対し、決しておごることなく大変礼儀正しかった。みんなその態度に深く感銘、「ありがとうございました」の言葉と共に去っていったF選手のとてもさわやかだったこと。
受付では女性ファンからの電話が殺到する中、スタッフとともに、床に流れた大量の洗浄用食塩水をふき取りながら出来るだけ早く回復する事を祈った。幸い、彼は2週間後に試合復帰し、その年、中日の落合選手との首位打者争いで見事、競り勝ったのである。
スポーツ選手を治療するドクターとして、この上ない喜びを味わうとともに内心ほっとしたのも事実。今でもテレビでヤクルト戦を観るたび、あのさわやかなF選手の笑顔が思い出されてくる。今年も、プロ野球に数多くの感動的なドラマが生まれますように・・・。