緒方洪庵抄訳扶氏医戒
一、 人の為に生活して己のため生活せざるを医業の本髄とす 安逸を思はず名利を顧みず唯己をすてて人を救はん事を希ふべし。 人の生命を保全し人の疾病を複治し人の患苦を寛解するの外、他事あるものに非ず。 |
二、 病者に対しては唯病者を見るべし、貴賎貧富を顧みること勿れ。 一握の黄金を以て貧士双眼の感涙に比するに何ものぞ、深く之を思うべし。 |
三、 其術を行うに当っては病者を以って正鵠とすべし。決して弓矢となすこと勿れ、固執に僻せず、漫験を好まず、謹慎して眇看細密ならんことを思うべし。 |
四、 学術を研精するの外、言行に意を用いて病者に信任せられん事を求むべし。然れども時様の服飾を用い詭誕の奇説を唱へて、聞達を求むるは大に恥じるところなり。 |
五、 病者を訪ふは粗漏の数診に足を労せんよりは、寧ろ一診に心を労して細密ならんことを要す。然れども自ら尊大にして屡々診察するを欲せざるは甚だ悪むべきなり。 |
六、 不治の病者も仍其患苦を寛解し、其生命を保全せんことを求むるは医の職務なり。棄てて顧みざるは人道に反す。たとひ救う事能はざるも、之を慰するは仁術なり。片時も其命を延べんことを思うべし。決して其の死を告ぐるべからず。言語容姿皆意を用いて之を悟らしむること勿れ。 |
七、 病者の費用少なからんことを思ふべし。命を与ふるも命を繋ぐ資を奪はば亦何の益かあらん。貧民に於ては茲に甚酌なくんばあらず。 |
八、 世間対しては衆人の好意を得んことを要すべし。学術卓絶すとも、言行厳格なりとも、斉民の信を得ざれば之を施すところなし。又周く俗情に通ぜざるべからず。殊に医は人の身命を委托し赤裸を露呈し最蜜の禁秘をもひも啓き、最辱の懺悔をも告げざることは能はざる所なり。常に篤実温厚を旨として多言ならず、沈黙ならんことを主とすべし。博徒、酒客、好色、貧利の名なからんことは素より論をまたず。 |
九、 同業の人に対しては之を敬し之を賞すべし。たとひ然ること能はざるも勉めて忍ばんことを要すべし。決して他医を議するなかれ。人の短をいふは聖賢の明戒なり。彼が過を拳るは小人の区徳なり。人は唯一朝の過を議せられて己生涯の徳を損す。其損失如何ぞや。各医自家の流有て、又自得の法あり。慢に之を論すべからず。老医は敬重すべし。少輩は愛賞すべし。人若し前医の得失を問ふことあらば勉めて之を得に帰すべし。其冶法の当否は現症を認めざるは辞すべし。 |
十、 毎日夜間に方って更に昼間の接病を再考し、詳に筆記するを課定とすべし。積んで一書を成せば、自己の為にも病者のためにも広大の脾益あり。 |
十一、治療の商議は会同少なからんことを要す。多きも三人に過ぐべからず。殊によく其の人を選ぶべし。只管病者の安全を意として、他事を顧みず、決して争議の及ぶ事勿れ。 |
十二、病者曽て依託せる医を舎て窃に他医に商ることありとも、漫りに従うべからず。先づ其医に告げて其説を聞くにあらざれば従事すること勿れ。然りといへども、實に其誤冶なることを知て、之を外視するは亦医の任にあらず。殊に老険の病にあっては遅疑することある勿れ。 |
上件十二章は扶氏医訓巻末に附する所の所戒の大要を抄譯せるなり、書して二三子に示し亦以て自警を云爾 |
安政 丁巳 春正月 公裁誌 |
緒方洪庵・・・江戸末期の蘭医、適々斎と号す。備中の人、江戸・長崎で蘭学を学ぶ。大阪で医業を開き、適塾を設けた。門下に大村益次郎・橋本佐内・福沢諭吉らがいる。種痘の普及やコレラの治療にも成果をあげた。(1810〜63) |
扶氏・・・ドイツの医者“フーフェラント”のこと、イェナとゲッティンゲン大学に学び、生都ヴァイマルで医業に従い、ゲーテやシラーの診察も行なった。イェナ大学教授、国王の侍医兼医学校長、公衆病院最高医、ベルリン大学の教授、ジェンナの方法を用いて天然痘の予防に努力し、チフスの撲滅にも力を尽くし、また統計学にも功績がある。主著の内科書「エンケリドーメディカム」は、実際編を緒方洪庵が訳し、「扶氏経験遺訓」として出版され、広く読まれた。(1762〜1836) |