「73歳、No Car、No Lifeの終焉」 山 地 善 紀
25歳で徳大を卒業して、二度の結婚、二度の開業(30歳で64床の吉田病院経営、43歳で無床の善紀クリニック開業)と波乱万丈の41年間であった。大学時代は講義も受けず街頭デモやラグビーの練習、徹夜マージャンに毎日明け暮れた。その付けが回って狭心症を患い、大学病院第2内科でカテーテル検査を受けて3週間の入院。しかし翌年にはラグビーに復帰した。また、暇を見つけては寝袋ひとつで50ccのモンキーバイクにまたがり、一人で四国八十八箇所巡り、山陰、南紀、北九州一周旅行を敢行。さらに卒業試験のカンニング?や無資格での医療アルバイト?など、今でこそ公にできるこの法律破りの無謀さと挑戦の魂は、今も健在であろうと自負している。
私のクルマとの出会いは、「アストンマーティンに乗る為、整形に入局します」と恩師・山田憲吾教授に公言し、入局1年目の秋、4年先輩の故栗若良臣先生から「クルマで走る楽しさを追求しながら膝の研究を一緒にやらないか!」の一言に始まる。栗若先生の勧めで40万円かけてHKSターボをスカイラインに装着し、爆音を響かせて徳島県内を疾走する一方で、先生から関節鏡外科医としての医術を、また他の先輩諸兄からはアジア諸国での招待講演や公開手術、さらにスポーツドクターとしての海外帯同など多くの実りある経験の機会と共に、さまざまなモータースポーツへの知識も与えていただいた。6年前、還暦を迎えた初老が新車のポルシェカレラ911に乗車し、善通寺―松山間の高速道路260kmを1時間30分で往復したのだが(瞬間最高速度252km)、覆面パトカーとの駆け引きは日常茶飯事で、気持ちを高揚させるスピード狂の疾走は留まる所を知らなかった。されど不思議なことに14年間無事故無違反、ゴールド運転免許証の持ち主なのである。
一方、年に数回、40歳以上の讃惑倶楽部のラグビージャージに身を包み、「One for all, all for one」の精神をもって満身創痍、勝利のため勇猛果敢に前進するラグビーを27年間継続していた。しかし、悲しいかな走力の衰えには抗えず、2011年花園ラグビー場での50m独走トライを最後に、ガソリンの力を借りて走るクルマのスピードに夢を託しているというのが実情である。
ここに現在までのクルマ遍歴を列挙すると、大学時代の日産サニー1200、スズキフロンテ、卒業と同時に,フオードカプリ1800、その後、ケンメリのスカイラインGT(HKSターボ付き)、スカイライン1800、 スカイラインRSターボ(190ps)、 ベンツ190E 2.3-16(185ps)、 ベンツ500SEL、 いすゞMu4WD、 ベンツS500L(330ps)、スズキワゴンR、 ポルシェ928(230ps)、トヨタタウンエースNOAH、ベンツCLK320(218ps)、 スマート、 ポルシェカレラ911(340ps)、ベンツE55AMG(470ps),マツダデミオskyactive、 ベンツE63AMG(510ps) と現在に至り、ヤンマー農業用トラクター、スズキ軽トラック、ジョンディア乗用芝刈り機のクルマも活躍中である。
ここまで来ると、この先はアストンマーティン、フェラ−リ、ランボルギーニへと進化しそうであるが、以前から緑内障の罹患があったため、2013年11月16日の誕生日を機にスピード狂の引退を決意して、優雅で深い安らぎの空間を持つ美しいBMW650i(450ps)を購入した。さらに2014年4月10日、突然歩行困難を来たし、両膝脛骨に骨嚢腫を伴う疲労骨折が判明して人工骨移植を実施。2000年に立ち上げた子供たちの「さぬきラグビースクール」での指導からも離れ、ラグビー界からは完全引退して、ゴルフ場での芝刈りスポーツへと転換することにした。これからは晴耕雨読の生活を目指すべく、4000坪のフルーツファーム善紀でマンゴーやみかんの栽培に精進して自分を戒めつつ、残り少ない人生を、安全安心運転でゆっくり、のんびりと歩んでいくつもりである。
アーウィンマンゴーの温室栽培 |
最高時速10kmの愛用トラクター |
温州ミカンの露地栽培 |
以上は、幻となった8年前の記念誌用に投稿したものなのだが、ここで、改めて訂正せねばならない。
それ以来の私が、はたして「晴耕雨読、精進、戒め、安全安心運転、ゆっくり、のんびり・・・」であったか?
残念ながら否である。6年前、冠動脈循環不全でステント2本(2年後に2本追加)を留置したものの車への憧れは消えず、オープン車のSL63AMG(585ps)、入局時に山田教授に公言したアストンマーティンDB11(608ps)、車椅子専用の軽四スズキスペーシアと、まだ現在進行形で走り続けている。さらに、3年前、久しぶりに23kmオーバー(制限速度60Kⅿ)のスピード違反で罰金を経験したことも追記しておく。結局、私の場合、本能が理性を凌駕してしまっているのかもしれない。それゆえ、人間としてのバランスが大事だと6年前から独学で油絵を描き始めた。
今後は、画集の自費出版、そしてまだ諦めきれないゴルフシングルを目標に掲げ、楽しみながら夢を追うという気持ちも忘れず、やがて訪れるであろう人生の終焉まで、穏やかでかつ確かな歩みを進めて行きたいと思う。
私にとって車とは? ― 幻の愛人である。
現在の愛車(SL63AMGとアストン) |
昭和のラガートリオ(F12) 島川先生と藤原先生 |
バラを愛する乙女(F20) |
記 2022年3月